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ComeRingはクラウドファンディングに挑戦中です 16年8月20日
伊豆諸島 神津島にゲストハウスを!!
こんにちはー!
今日も神津島から発信しまっ!
かおりんです。
---------------------
「おかえり」「ただいま」
温かさ溢れる、第二の故郷を目指して。
人と人との架け橋となるゲストハウスを神津島に!
-----------------
今回、神津島に移住するまでの経緯、これからのビジョン、そして、佐藤かおりと言う人間について書かせて頂きました。
只今、新たなステップを踏み出そうと、クラウドファンディングに挑戦させて頂いている為です。
私の事を知っている人も、知らない人も、興味を持って頂けましたら、是非ご一読お願いします。
https://readyfor.jp/projects/kouzushima-guesthouse
--------------------
私は今、東京の離島、伊豆諸島の中の1つ、“神津島”という島に居ます。
東京から180キロ離れ、人口は2000人弱。
愛称はダイヤモンドアイランド。
日本一透明度の高い海にも認定された事のある、水が豊かな島です。
そんな島に4月から移住し、間も無く4ヶ月が経とうとしています。
何故神津島なの?
いろんな人に聞かれる質問です。
同じ質問を受ける度に、必ず同じ答えを返してきました。
『応援したい人がいるからです』
2015年4月。
私の働く大塚のBARで、1人の男性と出会いました。
※事情がありお名前は伏せさせていただきます。
福島から神津島に移住したと言うその男性。
海は青いと言う事、
星は明るいという事、
月は眩しいという事、
太陽は大きいという事、
水平線は丸いという事、
そして、
神津島と言う秘境的島の悩みを。
島暮らしとは一体どういったものなのか、、。
初対面の私にたくさんたくさん話してくださいました。
『一度遊びにおいで』
直観で決めました。
行かなきゃダメな気がしたから。
私にも何かできることがある気がしたから。
池袋のシェアハウスに住んでいた私は、一緒に行ける仲間探しを始めます。
いつも悩み相談室を設けてくれていた、兄のような存在、高林伸光。
シェアハウスを運営し、飲食店開業経験のある、東元 大地。
同じシェアハウスに住んだ事があり、個人で様々な事業を営む田中健太郎。
『応援したい人がいるんです』
『よし!行こう!』
みんな即答でした。
2015年6月。
我々4人は初めて神津島に訪れます。
つい先日まで名前すら知らなかった島に。
何種類かある船の中で、所要時間のかからない高速船をチョイスし、乗船後3.5時間で到着。
ダイビングショップで働くその男性とは夜に合流しようと言う事で、昼は観光する事にしました。
『とりあえずレンタカーしないと。』
電話してみます。
『............繋がらない。』
『こっちは?』
『.............繋がらない。』
繁忙期ではない神津島。
レンタカーもレンタバイクも全滅。
早速、島の洗礼を浴びました。
男性の言っていた、
“観光客をもっと迎え入れやすい島にしたい”
という想いを体感。
結局、時間を作ってくださった男性と合流し、一通り島の観光を終え、改めてゆっくりとお話を伺うタイミングを頂きました。
具体的には、
・子沢山のこの島のメインビーチには日よけも無い。
せめて一件ぐらいは海の家があったらいいのになぁ。
・お昼を過ぎると飲食店はみんな休憩に入ってしまい、ランチ難民が絶えない。
・島民同士でも気軽に集まって談話できる場所が欲しい。
・観光客と島民が同じ空間を楽しめるような場所が欲しい。
・繁忙期の神津島は民宿や旅館が全て満室になってしまい、来たいと思ってくれている人を断っている状態。
少しでも受け入れられる場所を増やしたい。
・今までの神津島に無いものを、みんなの力で作って欲しい。
男性の島を盛り上げたいという想いが、
みんなの心を動かしました。
『よし!やろう!』
そして、
東京へと帰ったメンバー4人はそれぞれのセクションに分かれ、個々で動き出します。
そんな中、
ワタクシ佐藤かおりは2015年10月より、5ヶ月間の東南アジア一人旅に出ます。
旅の途中、
タイの北部チェンマイ。
お世話になっていたゲストハウスで新たな仲間と出逢います。
小梨久美子。
“島暮らしがしたい”
“ゲストハウスがつくりたい”
そんな彼女の夢も背負い、
仲間になろうとお誘いしました。
『出会ってくれてありがとう』
彼女のこの言葉は一生忘れないだろうなぁ。
その後、
カンボジアで学校建設ボランティアに参加、
無事帰国。
4日後の4月4日。
神津島へと移住しました。
そして、
2016年7月。
初めて神津島を訪れてから丁度1年。
遂に1つの想いが形となりました。
“島民の方も、観光でいらっしゃった皆様も、安心して来れる(Come)憩いと場となり、そこから繋がる人の輪(Ring)で神津島の交流点であり、交流店となろう!”
といったコンセプトの元、島民の方々に多大なるご協力を頂きながら、神津島BeachBar ComeRingがメインビーチ前浜にオープン。
只今日々運営に奮闘しております。
フロアには子供が集まり、島民の方も観光の方も、耐えない笑顔で毎日素敵な景色を見せてくれています。
そして、
我々5人は更なる想いを形にするべく、次のステップへ進もうとしています。
私たち5人が常に大切にしている事。
それは“縁”と“想い”です。
ここからは私個人の話になりますが、
私は10数年前、鬱病を抱え、ちゃんと人と接する事が出来ない状態にありました。
頭の中と体が別人のようで、変わらなきゃと考える頭と、わかっているのに動けない体。
しんどかった記憶が残っています。
親との関係も良いものではなく、話せる友人も居ませんでした。
きっと孤独ってこういう事なのだと思う。
家に居るばかりの毎日。
2011年3月11日。
1つの転機が訪れました。
東北地方太平洋沖地震。
人はいつ死ぬのか。
私は明日死ぬかもしれない。
恵まれている私には、記憶に残っている範囲で身近な人の死に直面した事がありませんでした。
初めて“生死”と言うものが目の前に訪れた。
屋根のある家に暮らせること。
あったかい布団で寝られること。
今日もご飯が美味しいこと。
お酒が飲めること。
好きな音楽を聴けること。
夜道は街灯が照らしてくれること。
帰れる場所があること。
大切な仲間が居てくれること。
隣に愛する人が居てくれること。
これらは決して当たり前なんかじゃなかった。
そう気付いた事が、私の転機となりました。
いつかいつかとチャンスを待つのは辞めようと決意し、環境を変える準備をしました。
気付いたら夢や目標なんてものは、数年間考えた事なんて無かったのでは、、?
やりたい事は無かった。
何ができるかもわからなかった。
でも待っていても何も変わらない。
キッカケは自分で作るものだと気づきました。
微々たる資金の元、
安く住める家を探した。
そして、人との出逢いが欲しかった。
何より友だちが欲しかった。
頭に浮かんだのは【シェアハウス】。
23歳になる年でした。
このシェアハウスとの出逢いが私の人生を大きく変えていく事となります。
入居の日、『今日から家族だよ』と迎えてもらった。
嬉しくて涙が出そうになったのを
今でも覚えています。
『おかえり』
『ただいま』
いつでも温かな人々と、
いつでも温かな空間が、
徐々に私を変えてくれました。
そして、出逢いに溢れた日々が、
私の価値観をも変えていってくれました。
『ありがとう』に対し、
『当たり前だよ』と返ってきたのは初めてでした。
自分の人生、何が一番大切なのだろう?
自分らしい生き方とはどんな生き方なのだろう?
自分はどんな人生が送りたいのだろう?
自分に出来る事ってなんだろう?
出逢いの数が多ければ多いほど、様々な生き方を学ばせて頂きました。
“自分の幸せとは何処にあるのか”
考える日々は5年もの月日を費やしました。
そして、
徐々に徐々に明確になっていった私の夢。
大切な人を大切にできる人間になりたい。
優しい人間になって、その人が笑顔でいられる時間を1秒でも増やしたい。
人によって救われたこの人生、残された自分の1秒1秒は人の為に使いたい。
お金で買えないモノだけど。
目には見えないモノだけど。
私が一番大切にしたいモノ。
それは“心”です。
旅の途中、たくさんの素敵な出逢いに恵まれました。
極貧旅行だったので、絵に描いたような贅沢は出来なかったけど、言葉もわからぬ異国の地で、人との出逢いが私の日々を鮮やかに色付けてくれました。
思い返せば、またあの地に帰りたいと望む場所は、世界遺産のある街ではなく、美味しいご飯のある街でも無く、良き人との出逢いのあった街ばかりです。
神津島に来てくださった方々にも、また帰って来たいと思って欲しい。
『おかえり』と迎え、『いってらっしゃい』と見送る。
そして、
『ただいま』と帰ってきて欲しい。
そんな温かな空間が、島に1つでもあったらいいなぁ。
男性の言っていた、
島民なのか、観光客なのか、
そんなものは関係無い。
みんなで楽しめる場所が創りたい。
もっと島を盛り上げたい。
もっと優しさに溢れる島にしたい。
その想いに共感し、
今、私は神津島に居ます。
そして、
ゲストハウスを創ろうとプロジェクトを立ち上げました。
しかしながら、私たちだけではどうしようも出来ない現実の壁があります。
そこで、ゲストハウスを建設するにあたって、READYFORというwebサイトで、【クラウドファンディング】を始めました。
https://readyfor.jp/projects/kouzushima-guesthouse
クラウドファンディングとはインターネット上に活動内容を掲載して、共感してくださった方から少額の支援を集めて、プロジェクトの実行資金を集める仕組みです。
今回のプロジェクトは総リノベーション費用に1000万円が必要で、この資金の一部をクラウドファンディングで集めるというものです。
もし共感してくださる方がいるのであれば、このページをシェアして頂けたらと思います。
そして、少額でもかまいませんので、ご支援をいただけたら本当に本当に嬉しい限りです。
プロジェクトページを読んでいただいて、もしご質問やアドバイスが有りましたら、ぜひご連絡いただければと思います。
どうかどうか、みなさんの力を貸して頂けませんか?
ちっぽけな私だけど、仲間が居てくれたら、出来ることは無限大に広がると信じています。
どうかどうか、よろしくお願い致します。
佐藤かおり
こんにちはー!
今日も神津島から発信しまっ!
かおりんです。
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「おかえり」「ただいま」
温かさ溢れる、第二の故郷を目指して。
人と人との架け橋となるゲストハウスを神津島に!
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今回、神津島に移住するまでの経緯、これからのビジョン、そして、佐藤かおりと言う人間について書かせて頂きました。
只今、新たなステップを踏み出そうと、クラウドファンディングに挑戦させて頂いている為です。
私の事を知っている人も、知らない人も、興味を持って頂けましたら、是非ご一読お願いします。
https://readyfor.jp/projects/kouzushima-guesthouse
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私は今、東京の離島、伊豆諸島の中の1つ、“神津島”という島に居ます。
東京から180キロ離れ、人口は2000人弱。
愛称はダイヤモンドアイランド。
日本一透明度の高い海にも認定された事のある、水が豊かな島です。
そんな島に4月から移住し、間も無く4ヶ月が経とうとしています。
何故神津島なの?
いろんな人に聞かれる質問です。
同じ質問を受ける度に、必ず同じ答えを返してきました。
『応援したい人がいるからです』
2015年4月。
私の働く大塚のBARで、1人の男性と出会いました。
※事情がありお名前は伏せさせていただきます。
福島から神津島に移住したと言うその男性。
海は青いと言う事、
星は明るいという事、
月は眩しいという事、
太陽は大きいという事、
水平線は丸いという事、
そして、
神津島と言う秘境的島の悩みを。
島暮らしとは一体どういったものなのか、、。
初対面の私にたくさんたくさん話してくださいました。
『一度遊びにおいで』
直観で決めました。
行かなきゃダメな気がしたから。
私にも何かできることがある気がしたから。
池袋のシェアハウスに住んでいた私は、一緒に行ける仲間探しを始めます。
いつも悩み相談室を設けてくれていた、兄のような存在、高林伸光。
シェアハウスを運営し、飲食店開業経験のある、東元 大地。
同じシェアハウスに住んだ事があり、個人で様々な事業を営む田中健太郎。
『応援したい人がいるんです』
『よし!行こう!』
みんな即答でした。
2015年6月。
我々4人は初めて神津島に訪れます。
つい先日まで名前すら知らなかった島に。
何種類かある船の中で、所要時間のかからない高速船をチョイスし、乗船後3.5時間で到着。
ダイビングショップで働くその男性とは夜に合流しようと言う事で、昼は観光する事にしました。
『とりあえずレンタカーしないと。』
電話してみます。
『............繋がらない。』
『こっちは?』
『.............繋がらない。』
繁忙期ではない神津島。
レンタカーもレンタバイクも全滅。
早速、島の洗礼を浴びました。
男性の言っていた、
“観光客をもっと迎え入れやすい島にしたい”
という想いを体感。
結局、時間を作ってくださった男性と合流し、一通り島の観光を終え、改めてゆっくりとお話を伺うタイミングを頂きました。
具体的には、
・子沢山のこの島のメインビーチには日よけも無い。
せめて一件ぐらいは海の家があったらいいのになぁ。
・お昼を過ぎると飲食店はみんな休憩に入ってしまい、ランチ難民が絶えない。
・島民同士でも気軽に集まって談話できる場所が欲しい。
・観光客と島民が同じ空間を楽しめるような場所が欲しい。
・繁忙期の神津島は民宿や旅館が全て満室になってしまい、来たいと思ってくれている人を断っている状態。
少しでも受け入れられる場所を増やしたい。
・今までの神津島に無いものを、みんなの力で作って欲しい。
男性の島を盛り上げたいという想いが、
みんなの心を動かしました。
『よし!やろう!』
そして、
東京へと帰ったメンバー4人はそれぞれのセクションに分かれ、個々で動き出します。
そんな中、
ワタクシ佐藤かおりは2015年10月より、5ヶ月間の東南アジア一人旅に出ます。
旅の途中、
タイの北部チェンマイ。
お世話になっていたゲストハウスで新たな仲間と出逢います。
小梨久美子。
“島暮らしがしたい”
“ゲストハウスがつくりたい”
そんな彼女の夢も背負い、
仲間になろうとお誘いしました。
『出会ってくれてありがとう』
彼女のこの言葉は一生忘れないだろうなぁ。
その後、
カンボジアで学校建設ボランティアに参加、
無事帰国。
4日後の4月4日。
神津島へと移住しました。
そして、
2016年7月。
初めて神津島を訪れてから丁度1年。
遂に1つの想いが形となりました。
“島民の方も、観光でいらっしゃった皆様も、安心して来れる(Come)憩いと場となり、そこから繋がる人の輪(Ring)で神津島の交流点であり、交流店となろう!”
といったコンセプトの元、島民の方々に多大なるご協力を頂きながら、神津島BeachBar ComeRingがメインビーチ前浜にオープン。
只今日々運営に奮闘しております。
フロアには子供が集まり、島民の方も観光の方も、耐えない笑顔で毎日素敵な景色を見せてくれています。
そして、
我々5人は更なる想いを形にするべく、次のステップへ進もうとしています。
私たち5人が常に大切にしている事。
それは“縁”と“想い”です。
ここからは私個人の話になりますが、
私は10数年前、鬱病を抱え、ちゃんと人と接する事が出来ない状態にありました。
頭の中と体が別人のようで、変わらなきゃと考える頭と、わかっているのに動けない体。
しんどかった記憶が残っています。
親との関係も良いものではなく、話せる友人も居ませんでした。
きっと孤独ってこういう事なのだと思う。
家に居るばかりの毎日。
2011年3月11日。
1つの転機が訪れました。
東北地方太平洋沖地震。
人はいつ死ぬのか。
私は明日死ぬかもしれない。
恵まれている私には、記憶に残っている範囲で身近な人の死に直面した事がありませんでした。
初めて“生死”と言うものが目の前に訪れた。
屋根のある家に暮らせること。
あったかい布団で寝られること。
今日もご飯が美味しいこと。
お酒が飲めること。
好きな音楽を聴けること。
夜道は街灯が照らしてくれること。
帰れる場所があること。
大切な仲間が居てくれること。
隣に愛する人が居てくれること。
これらは決して当たり前なんかじゃなかった。
そう気付いた事が、私の転機となりました。
いつかいつかとチャンスを待つのは辞めようと決意し、環境を変える準備をしました。
気付いたら夢や目標なんてものは、数年間考えた事なんて無かったのでは、、?
やりたい事は無かった。
何ができるかもわからなかった。
でも待っていても何も変わらない。
キッカケは自分で作るものだと気づきました。
微々たる資金の元、
安く住める家を探した。
そして、人との出逢いが欲しかった。
何より友だちが欲しかった。
頭に浮かんだのは【シェアハウス】。
23歳になる年でした。
このシェアハウスとの出逢いが私の人生を大きく変えていく事となります。
入居の日、『今日から家族だよ』と迎えてもらった。
嬉しくて涙が出そうになったのを
今でも覚えています。
『おかえり』
『ただいま』
いつでも温かな人々と、
いつでも温かな空間が、
徐々に私を変えてくれました。
そして、出逢いに溢れた日々が、
私の価値観をも変えていってくれました。
『ありがとう』に対し、
『当たり前だよ』と返ってきたのは初めてでした。
自分の人生、何が一番大切なのだろう?
自分らしい生き方とはどんな生き方なのだろう?
自分はどんな人生が送りたいのだろう?
自分に出来る事ってなんだろう?
出逢いの数が多ければ多いほど、様々な生き方を学ばせて頂きました。
“自分の幸せとは何処にあるのか”
考える日々は5年もの月日を費やしました。
そして、
徐々に徐々に明確になっていった私の夢。
大切な人を大切にできる人間になりたい。
優しい人間になって、その人が笑顔でいられる時間を1秒でも増やしたい。
人によって救われたこの人生、残された自分の1秒1秒は人の為に使いたい。
お金で買えないモノだけど。
目には見えないモノだけど。
私が一番大切にしたいモノ。
それは“心”です。
旅の途中、たくさんの素敵な出逢いに恵まれました。
極貧旅行だったので、絵に描いたような贅沢は出来なかったけど、言葉もわからぬ異国の地で、人との出逢いが私の日々を鮮やかに色付けてくれました。
思い返せば、またあの地に帰りたいと望む場所は、世界遺産のある街ではなく、美味しいご飯のある街でも無く、良き人との出逢いのあった街ばかりです。
神津島に来てくださった方々にも、また帰って来たいと思って欲しい。
『おかえり』と迎え、『いってらっしゃい』と見送る。
そして、
『ただいま』と帰ってきて欲しい。
そんな温かな空間が、島に1つでもあったらいいなぁ。
男性の言っていた、
島民なのか、観光客なのか、
そんなものは関係無い。
みんなで楽しめる場所が創りたい。
もっと島を盛り上げたい。
もっと優しさに溢れる島にしたい。
その想いに共感し、
今、私は神津島に居ます。
そして、
ゲストハウスを創ろうとプロジェクトを立ち上げました。
しかしながら、私たちだけではどうしようも出来ない現実の壁があります。
そこで、ゲストハウスを建設するにあたって、READYFORというwebサイトで、【クラウドファンディング】を始めました。
https://readyfor.jp/projects/kouzushima-guesthouse
クラウドファンディングとはインターネット上に活動内容を掲載して、共感してくださった方から少額の支援を集めて、プロジェクトの実行資金を集める仕組みです。
今回のプロジェクトは総リノベーション費用に1000万円が必要で、この資金の一部をクラウドファンディングで集めるというものです。
もし共感してくださる方がいるのであれば、このページをシェアして頂けたらと思います。
そして、少額でもかまいませんので、ご支援をいただけたら本当に本当に嬉しい限りです。
プロジェクトページを読んでいただいて、もしご質問やアドバイスが有りましたら、ぜひご連絡いただければと思います。
どうかどうか、みなさんの力を貸して頂けませんか?
ちっぽけな私だけど、仲間が居てくれたら、出来ることは無限大に広がると信じています。
どうかどうか、よろしくお願い致します。
佐藤かおり
SPECIAL THANKS
スペシャルサンクス※超超順不同神津島観光協会様/ 神津島盛り上げ隊様/ 南島建設様/ ゆーすけ兄/ かず兄/ しんさん/ しんじ兄/ ゆーき兄/ ひろし兄/ じゅん兄/ わたる兄/ としかつ兄/ さかんやさん/ 親方/ たかちゃん/ としかつ兄/ あきおさん/ みち坊兄/ つるちゃん/ すーみ姉/ あやこ姉/ あやこさん/ しおりさん/ ももちゃん/ りなさん/ ぺろーん/ ゆうた/ たーか/ きょうすけ/ モリタ/ りょうすけ/ ゆうじ/ けんじ/ よーすけ/ あやの/ なお/ ケーゴ/ ゆーと/ ナカシー/ まさと/ ぼるけ/ まこ/ りゅうりゅう/ みんく/ はるき/ ディエゴ/ ばんばん/ 谷さん/ なべし/ たけし/ レインボーファーム様/ まさお/ けん兄/ 小八のみなさん/ ゆきちゃん/ マイク/ せーと/ ぺる/ 明夫さん/ まーちゃん兄/ しーらぶさん/ けいくん/ りょうくん/ 文子姉/ そうちゃん/ ななとくん/ あつみさん/ まさ/ いわっち/ なっちゃん/ ともちゃん/ あゆみさん/ あーき兄/ 丸甚様/ よしあきさん/ はるかさん/ みきちゃん/ ともや兄/ はーぼー兄/ みーか姉/ 石井先生/ ひろこ姉/ みーさ姉/ わーた/ こうちゃん兄/ 丸伴様/ 関庄様/ かんむりん